2012/12/20

クリスマスの過ごし方~Jill Briscoeに聞く その3

(続き)

JBU:クリスマスの時期、商業主義に踊らされず、自分も家族もクリスマスの本当の意味を見失わないようにするにはどうしたらよいですか?

ジル:私は50歳になったとき、クリスマスプレゼントを新たに買うのをやめました。そして、クリスマスを簡素化し、本当の意味を見失わずにいようと決めたのです。
その代わりに、「世代を越える贈り物(heritage gifts)」を愛する家族や友人にすることにしました。

自分にとって大切なもので、他の人にとっても価値があるもの、たとえば宝飾品や家族の形見などをあげるようにし始めました。

ある年には、娘にダイニングセットをあげました。娘の家にまさにぴったりで、娘家族も喜んで使ってくれました。

あるいは、その人のためにメモをはさんだ聖書や、日記や、その家庭オリジナルの料理レシピなどをあげるもよいアイデアですね。

子どもや孫にも、同じ方法を勧めています。
こうした贈り物は、ただ必要もないのにするやりとりのための買い物をしないですみます。



JBU:多くの人にとって、クリスマスは1年の中でとても悲しい時期にもなりえます。クリスマスに生じうる心の痛みをどのように扱ったらよいですか?


ジル:神様が私たちの人生に痛みを許されたのなら、痛みをそのままにしておくべきだと思います。良い方である神様の御手からそれを受け取って、何かの目的のために神様がそうされていると知ることです。

もしそうしたならば、神様について今まで知らなかったことを知るようになり、他の人についても今まで知らなかったことを知るようになり、自分自身についても知らなかったことを知るでしょう。

辛い時期の間、私たちは「主よ、この状況を受け入れます。あなたが支配しておられると信じます。痛みを通してより成長し、他の人を思いやり、あなたに似るものとなれますように」と言うべきです。

そして自分に対しては、「この試練の前には得ていなかったもののうち、何を他の人々に与えることができるだろうか」と問うことができます。

神様は私たちが神から慰めを受けるので、他の人をも慰めることができるのだと言われました。神様は辛い出来事をただ私たちの心の成長だけではなく、より良い宣教の働きをするために用いてくださいます。


JBU:読者に、今年のクリスマスの季節を迎えるにあたって、何かすすめたいことはありますか?

ジル:12月の間、少なくとも日に10~15分、神様のことを思う時間をとるように約束されてはどうかと思います。
そうすることで、毎晩寝る前の一瞬の祈りでは得られない、決心や計画が与えられるでしょう。

マルタとマリヤのことを思い出してください。・・・もし私たちが祝福を受けられないほど忙しすぎるなら、私たちは最愛の人にとっての祝福にもなれないでしょう。

もし祈りと聖書の学びをしないなら、(ナルニアの)悪い女王が全てを奪ってしまうでしょう。
そうなるべきではありません。

私たちは心を単なる「冬のお祭り」ではなく、キリストご自身によくよく向けてまいりましょう。




JBU2012冬号より
Copyright 2012 Holly G. Miller. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
  

2012/12/19

クリスマスの過ごし方~Jill Briscoeに聞く その2

(続き)

JBU:クリスマスの時期は、長距離の移動をしなくてもとても疲れます。この時期のために、精神的そして霊的に、どんな準備をしていますか?


ジル:毎年、いくつかのクリスマス集会でメッセージをするように頼まれるので、感謝しています。こうした依頼のおかげで、早くからメッセージの準備と新しい視点でキリストの誕生を見るという心の準備ができるのです。

何年も前になりますが、C.S.ルイスの「ナルニア国物語」を引いてクリスマスのメッセージをしました。
ナルニアは氷と雪の国で、悪い女王がクリスマスを冬の季節から消してしまっていました。
でも、神様を象徴するライオンが声をあげた時、ようやく氷が解けました。

私が伝えたかったのは、クリスマスを単なる「冬のお祭り」として祝う人はとても多いのですが、それは真のクリスマスを祝っているのではないということです。

私の両親は素晴らしい人たちでしたが、やはり「冬のお祭り」としてしか祝っていませんでした。それは美しく、楽しく、歌が流れ、くるみを焼き、そのほか伝統的な冬の楽しみを楽しみました。私はそのお祝いが大好きで、母がいろいろなことをしてくれるのがとても楽しかったのです。

けれども、両親は家族を礼拝していたのでした。つまり、彼らにとっては、家族が神となっていたのです。そうした姿勢だと、世の価値観から自由であるというよりもそこに埋没してしまうので、家庭が与えられていることによる満足感は得られないのです。

メッセージをするよう招かれるのは、人々の関心を単なる「冬のお祭り」ではなくキリストに向ける機会だととらえています。




JBU:クリスマスには、私たちは「マルタとマリヤ」のようです。マルタのように、お祝いのためにすべき、こまごまとしたことに気をつかいます。けれども同時に、マリヤのようにクリスマスの本当の意味である、霊的なことにも心を集中したいと思います。
どうすれば、すべきこととのバランスをとりつつ、他の人にも仕えることができますか?


ジル:神様と共に過ごす時間をとるよう、自分に厳しく課すことや、
霊的なことに心を向けて働くこと、
またささいなことに煩わされないことによって可能だと思います。

本当に大切なことに関して計画を立て、子どもも共に参加してはどうでしょうか。
子どもたちにとって、自分の両親が炊き出しの奉仕をしたり、服役中の家族がいる人に贈り物を買ったりするのに加わるのはよいことです。
家族そろって、他の人のために料理をし、買い物をし、プレゼントを用意することができます。
各家庭でも、クリスマスの食事を用意して神様を知らない人を招くことができます。

クリスマスは家庭を愛に満ちた場所として、伝道ができるまたとない機会です。

ニューヨークの学生だったとき、カストロはアメリカ人の家庭に招かれたいと切に望んでいましたが、そのチャンスはありませんでした。
もし彼が招かれていたらどうなっていたか、考えてみてください。
アメリカ国内には、家に帰るお金がないため、学校の寮に残ってクリスマス休暇を過ごす学生が非常に多くいます。
そうです。あなたも若い人を招いてクリスマスを分かち合うことで、国をも変えうることがあるのです。




(続く)


JBU2012冬号より
Copyright 2012 Holly G. Miller. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
  

2012/12/18

クリスマスの過ごし方~Jill Briscoeに聞く その1

ジル・ブリスコー先生が、人々に仕えることを通して、クリスマスが福音を分かち合うのにいかに最適な時であるのかを話してくださいました。

聞き手 Holly G.Miller





Just Between Us 誌の主筆ジル・ブリスコー先生は、「ごめんなさいね、我が家にはクッキーのレシピがなくって」と言いました。
クリスマスの季節になりましたが、彼女は笑いながら、自分には焼き菓子を焼くことも、手作りのアイデアもないのよ、と言いました。

それどころか、ウィスコンシン州ウォーキシャの湖畔にある自宅では、クリスマスの飾りつけは最小限におさえられています。
小さなポインセチアが一つ、暖炉のそばにリースが一つ、ろうそくが数本、テーブルの上にクリスマス物語のガラスの置物、そしてインド更紗をかけた椅子だけです。

家族は集まるのでしょうか?いいえ、多くの人が実家に帰ろうとするとき、ブリスコー夫妻は国際的なミニストリーのベースがであるエルムブルック教会から旅立つ準備をしていました。

夫婦の思いは一つです。それは、「機会をのがさず、主に仕える」ことです。

大衆伝道者として、彼らはクリスマスとは人々が福音に心を開く時だ、ということを知っています。
これまで、12月には南アフリカ、トリニダード・トバゴ共和国、オーストラリアなどに伝道旅行をしてきました。

クリスマスに家を空けることは、今に始まったことではない、と彼女は語ります。
「イエス様も自宅にとどまることはありませんでした。他の人のために忙しく仕えたのです。それに、自分の時間をささげたことを通して、だれかが天国に行けるとするなら、それよりもすばらしいプレゼントはないと思います。」

Just Between Us誌では、再び海外に出発する前に、ジル先生からどのようにクリスマスの休暇をキリストを周囲の人とわかちあう時とできるのか、またどのようにキリストから目を離さないでいられるかを話してもらいました。




JBU:忙しい中で、クリスマスのお祝いはされますか?

ジル:いわゆる普通の家庭のするようなクリスマスパーティーはしません。
3人の子どもを育てながら宣教の働きをしてきましたから、皆が一緒に集まるということはありませんでした。
数人がこの時に集まり、別の何人かがまた集まり・・・というふうにしています。
現在は孫が与えられているので(この時点で13人)、もっと大きな家族になりました。
私たちは物ではなく、互いの時間を可能な時に与えあうようにしています。


JBU:ご自宅を遠く離れてクリスマスを迎える、ということが多いと思います。
イギリスを1970年に離れられた直後の、初めのクリスマスはいかがでしたか?

ジル:渡米して初めのクリスマスはとても辛かったです。
夫婦とも、それぞれ実家に独り暮らしの母親を残してきていました。
私たちは神様のみこころに従ってきたのであり、ここにいることが神の願いなのだ、と信仰をもって理解することにしました。他の人に仕えていることも助けになりました。

(続く)


JBU2012冬号より
Copyright 2012 Holly G. Miller. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
  

2012/11/16

信仰を取り戻すまで ~その4

信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし(4)




                Tammy Kill



・・・それはこのような歌でした。

信仰を抱き
希望を抱き
大丈夫という約束を信じていれば
十分でした

しかし それが感じられないとき
それが見えないとき
どうしますか

それでも信仰に立ち続けます・・・


その日、奇跡というしかありませんでしたが、手術は実施されませんでした。
看護師によれば、手術は延期になり、医師がもう一度傷口を消毒して来週に備えるとのことでした。

治療の日々からリハビリの期間に入ると、フェイスは車椅子で我が家に帰宅することができました。
それから徐々に歩行器を使うようになり、クリスマスにはほんの少し足をひきずる程度にまで回復しました。
傷あとは依然としてはっきり残っていましたが、回復も奇跡的なほど明らかでした。

ヘルブ11章1節には、「ですから、信仰は望んでいることがらの実体であり、目に見えないものの証拠です(KJV)」とあります。

信仰は実質を伴うものであり、私たちが希望を持てる理由です。
困難がないことが希望なのではなく、神様の恵みによって困難を通ることができることなのです。

私は逃れようのない、本当に暗いトンネルを通らねばなりませんでしたが、その最後には明かりがありました。
喜び、平安、勝利、そして信仰がトンネルの出口にありました。

今は、この人生において真に超自然的な経験をするには、それ以外の道がないとわかります。
私たちが魂の底から痛むような経験を通らない限り、超自然的な事柄を見ることはできません。

神様は、痛む我が子を見ることの悲しみを、知りすぎるほど知っておられます。
その時も、今も、神様はここにいて、私たちを忍耐強く待っていてくださいます。

神様は娘を家に戻してくださっただけではなく、私たち家族の心に信仰をもう一度与えてくださいました。そのことが、娘の回復にもまさることでした。



タミー・キルはオハイオ州リマの聖リタ医療センターの正規看護師で、7年間ホスピススタッフとして勤務している。所属する教会では短期聖書学校の講師を務め、女性ミニストリーに関する講義をし、執筆や賛美の奉仕にも携わる。夫婦には8人の子供が与えられている。


JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

2012/11/09

信仰を取り戻すまで ~その3

信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし(3)



                Tammy Kill



12回目の手術当日、私は一人で娘フェイスのベッド脇に座っていました。

まだ感染がおさまっていないのに、担当医が足の移植手術をするという決定をしたので、心配でたまりませんでした。

緊急事態が数日続きましたが、この時私は事故以来初めて神様に嘆願しました。

その時、私は気付きました。・・・「神様、私はひどく怒っています。」

祈ることも、聖書を読むことも、神様に対してどう感じているのか考える時間さえもありませんでした。
というよりは、祈りたくなるたびに、今は時間がないから、と言い訳をしていたのでした。

私はその時神様に向かって言いました。

「主よ、あなたと私だけが、私の気持ちを知っています。
私の娘は痛み苦しみ、打ちひしがれてここにいます。
身体も心も、絶え間なく痛んでいます。
それなのに、私にはなすすべがないのです。
神様、どうか今日の手術が行われないようにしてください。」

すると、なぜ祈れないでいたかがわかったのです。
事故の起こる前の水曜日に、私は夢を見ました。

子どもの一人が命に危険の及ぶようなひどいけがをした夢でした。
・・・そして、この事故が起こったのです。

神様は警告しておられたのだろうか?
それとも、サタンからのものだったのだろうか?

私にはわかりませんでした。

ただ言えることは、もし神様からの夢なのだったら、私の父であり、友であり、奇跡をなさる方で、私が望みをおき、祈りをささげる唯一のお方であるはずの神様が、
どうして事故が起こることを知りながらそのままにしておかれたのだろうか、ということでした。

そんな神様を、私は再び信頼し愛することができるのでしょうか。

私は疑いの思いでいっぱいになり、娘に信仰を示すこともできずにいました。

ところが、病室の静けさの中で、神様は私が怒っていることをご存じで、そのことを良しとしてくださっていることがわかりました・・・。
1つの歌が私の心にあふれてきました・・・


(続く)


JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045



2012/11/06

信仰を取り戻すまで ~その2

信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし(2)


                Tammy Kill



その日、それからどのようだったかを表現することはできません。

家まで飛んで帰ると、私はそこで恐ろしい光景を目にしました。
幼い娘の押しつぶされた体を、庭で夫はひざまずいて覆うようにしていました。

「フェイス!・・・ゲリー!」

娘は両足を切断されていました。左足は大部分で、そけい部のあたりまでもでした。
辺りは血の海でした。
夫はその日、何度も何度も、「人殺しだ・・・」と言っていました。

続く数時間は娘の足だけでなく、娘の命を救うための闘いでした。
娘を失うかもしれないということに加え、夫は娘が自分の過失のすべてを知り、感じていることの重大さと絶望感に耐えなければならなかたのです。

娘フェイスは救命ヘリコプターでコロンブスにある子ども病院に搬送されました。そしてその夜、救命措置と切断された足を縫合する手術が行われました。
娘が再び歩けるようになるか、だれも保証はできませんでした。
ただ、娘の状態に心を向けるのみでした。

どうやって、こんな出来事を乗り越えられるだろうか?
夫のゲリーはひどくショックを受けていました。

後日聞いたところだと、フェイスが父親の運転の後ろをついてきたところに、夫が芝刈り機をバックさせたということでした。
夫はフェイスが庭の反対側で安全に遊んでいるのを少し前に確認していました。
ところがエンジンをかけて動かしたとき、娘がそこにいたのです。
まったくの事故でだれの責任でもありませんでした。でも、同時に耐えがたい出来事でした。

フェイスは大腿部と足とを接合するため、12回の手術を受けなければなりませんでした。
娘が小さな身体で痛みと落胆に耐えているのを、私は見守りました。
4歳の子どもがこれほど落ち込むのを、今まで見たことがありませんでした。

「ママ、いつ私はまた歩けるようになるの?」
娘が尋ねるたび、私は
「もうすぐね。」
と答えるしかありませんでした。

本当は、私には答えられませんでした。
この期間、忍耐できました、と言えたらよいのですが。
いつも証ししていた神の奇跡が起こったと言えたらよいのですが。
せめて、神様が娘の命を救おうと、初めから計画してくださっていたのだ、とでも言えたらよかったのですが・・・。

けれでも現実には、私には今後神様を信じられるかわかりませんでした。信じたいと思うかすら、わからなかったのです。
私は自分をなんとか取り繕おうとしました。
けれども、フェイスにほんの少し回復の兆しがみられたのに、逆に私の心は沈み、どんどんとわからなくなっていったのです。

フェイスは回復までにそれは多くの過程を通らねばなりませんでした。6週目には、足の傷口の周りに水ぶくれができてしまいました。
私は最悪の事態を想像しましたが、その恐れは現実でした。ブドウ球菌に感染してしまったのです。


(続く)


JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

2012/10/26

信仰をとり戻すまで ~その1

信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし


                Tammy Kill


 2011年5月22日。この日を境に、私たちの生活は永遠に同じではなくなりました。痛みと絶望の中で、信仰が試されることとなりました。


過去に経験したどんな悲劇、死、試みよりも、この試練は私が信仰を持ち続けるにはあまりにも過酷なものだといえるでしょう。
この日が絶望の淵から信仰を再びとり戻すまでの旅路の始まりとなったのです。



普通、日曜日は休息の日だと考えられていますね。でも10人家族の我が家にとって、日曜日とはたいがい意見がぶつかり、着替え、身だしなみを整え、教会に大急ぎで行く、戦争のような日なのです。
教会では礼拝メッセージに集中しようとしますが、双子(フェイスとジョイ、4歳)とやんちゃの末っ子(ゲリー、2歳)を連れて何度も託児室とお手洗いとを往復するはめになります。

日曜日は休息の日ではなく、むしろ試される日のようです。残念ながら忍耐と根気をもち続けられないことがよくあります。

さて、その日曜日は子どもたちと私だけが一緒におり、結婚18年になる夫のゲリー(子どもと同名)は仕事で不在でした。夫はオハイオ州のリマという私たちの町で17年間、葬儀の仕事をしてきました。
葬儀の仕事ですから、日曜日にも仕事に出ないといけないことがありました。
私自身はホスピスで看護師をしており、週末は休みでした。
(葬儀業者、ホスピス、そして私たちの姓はKill・・・人の死に関連するものばかり、何という取り合わせでしょうか!)

ともかくその日帰宅してからは、末っ子のゲリーが昼寝をする横で少し休むことができました。まるでその後の眠れない日々に備えて、神様が機会をくださったかのようでした。

5時ごろ夫が帰宅したので、私はしてほしいことのリストを渡しました。そこには芝刈りも含まれていました。
その後、私は夏季聖書講座の準備をするため、教会に向かおうとしました。
神様が私の心にビジョンを与えてくださったことに、わくわくしていました。

道路に出ようとすると、フェイスが家から出てきて、「ママ、行かないで!」と言いました。
ガレージでは夫が古い緑の芝刈り機のタイヤに空気を入れていました。彼は私が家を出る時と同じ、疲れた顔をしていました。
私の心は再び、ミニストリーと家族との狭間で葛藤しました。正しいのはどれなのか、いつも知ることは困難なのです。

教会に向かいながら、心が痛みました。それでも教会に着き、若者たちのグループが到着するのに備えて準備をしました。

数分して電話がありました。

その電話がすべてを止めることになりました。

突然、上の娘のホープの叫び声が耳に入りました。
「ママ、フェイスが芝刈り機にひかれたの!」

その言葉を聞いて、頭が真っ白になりました。自分が何を聞いているのかわからないほどでした。

(続く)


JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

2012/09/20

召しに満足していますか?~その3

召しに満足していますか?~その3   Kelley Searcy

あなた自身の持ち味に感謝する。


神様はあなたを現在のミニストリーにかかわるように選ばれただけではなく、
そのミニストリーが果たせるような持ち味もあなたに与えてくださいました。

宣教の働きにおいて、「私はいわゆる『伝統的なタイプの牧師夫人』ではない」
と思うことがあります。
私は歌もうまくないし、ピアノも弾けません。料理も上手ではありません。
そして、過去何年もの間、ばりばり働くよりも家にいる方を選びました。

時間がかかりましたが、私は神様が召してくださった役割に満足し始めました。
さらに重要なことは、私が神様が召されたとおりの在り方でいる、ということを受け取れるようになったのです。


神の御国を建てること以上に人生でわくわくするようなことはありません。神様があなたを特別な存在に造り、今日あなたが置かれている宣教の場におかれたのだ、という事実を受け取ってください。
神様はどんな経験も無駄にはなさいません。・・・よいことも、悪いことも。

毎朝「神様、今日あなたの御国を建てるために、私をどのように用いてくださるのですか」と思いながら起きてみてください。


2012/09/13

召しに満足していますか?~その2

召しに満足していますか?~その2
Kelley Searcy


自分の召しを再確認する

時々、私たちは神の召しを受けても楽な人生を送れるかのように思ってしまうことがあります。
神様が召してくださったのだから、まるでパズルのピースが正しい場所にきちんとおさまっていくように、宣教の働きも進んでいくものだと思ってしまうのです。

実際には全く逆です。経験的に、神様の召しに沿った人生を歩めば歩むほど、霊的な妨害は強くなるものです。
信頼を裏切られたり、結婚生活に難しさを感じたり、失意に陥ったりするのです。

私は失意落胆し、もう宣教の働きをやめようかと思ったことが何度かあります。
そうした時、私たち夫婦が神様から、ここニューヨークで新しい主の働きを始めるようにという召しを受けた時のことを思い出します。
宣教のためにしてきたことが何らかの変化を生じている、という形跡を探し始めます。
そうした時に、神様がまさに私にいなさいとおっしゃっている場所に自分がいるのだ、ということを確認するのです。


(つづく)



JBU2012秋号より
Copyright 2012 Kelley Searcy. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

2012/09/11

召しに満足していますか?~その1






召しに満足していますか? ~その1

Kelley Searcy







 先日、親しい友人とショッピングに出かけました。マーシーズ(デパート)で靴を見ている時に、その友人は知り合いを見つけ、駆け寄って私のことを紹介してくれました。

「この人は牧師夫人のケリーさんよ」と。

普通なら、友人のことをいきなり「銀行員の奥さん」とか「お医者さんの奥さん」と紹介することはないと思いますが、どうして宣教の働きに召されている場合だけが特別なのでしょうか。

自分はこの立場でも構わないと思うだけでなく、光栄な召しだと心から受け取ることができるにはどうしたらよいでしょうか。
宣教の働きにおいて自身の役割に満足する助けとなる鍵をいくつかあげてみましょう。



自分は一人ぼっちではない、と知ること。

率直なところ、私は宣教の働きの上で非常に孤独だと感じることがあります。
神様がすべてを支配しておられるのが救いですが、女性の友人たちともっと親しくなれたらいいのにと心から思います。

私の尊敬するメンターはかつて友情には3種類あるのだということを教えてくれました。
すなわち、遊び友達、仲間、そして親密な友達です。


遊び友達とは、一緒に何か楽しいことができる友達です。
つまり、土曜の午後に一緒にペディキュアを楽しんだり、夜のパーティーに参加したりする友達です。
こうした友達と過ごすために、特別なプログラムは必要ありません。あくまでも、日々の生活を共に楽しめる間柄です。


仲間とは、互いに同じ環境、境遇にある友人のことです。
宣教の働きに関わっている人にとっては、他の牧師夫人、伝道師夫人でしょう。宣教における恵みと苦労、辛い面を分かち合い、同じ経験を通っている者として理解しあえるような間柄です。

すでに教団の中でそうした集まりがもたれているかもしれません。
もしそうした機会がないなら、どうぞあなたから始めてみてください。
互いの共通点が多くあり、新たな視点を得ることができるのに驚くでしょう。


親密な友達とは、見つけるのが最も難しい間柄です。
実際に、私自身も今なお葛藤しています。
私のメンターによれば、何でも話せる相手で、あなたの秘密を守るだけでなく、たとえあなたが病気になってもそれを決して漏らさないでいてくれる相手だということです。
宣教でリーダー的な立場にある者として、本当に信頼でき、ずっとその信頼に値し続ける人物を見つけるのはなかなか難しい面があります。


(つづく)


2012/08/28

落ち込んだ時、神に聞く

        ジル・ブリスコー

何カ月もの間、ずっとプレッシャーにさらされたことがありますか?
私たちは、重大な霊的問題や人生の危機にそれほどしばしば直面するわけではありません。
けれどもそれは同時に、自分がどうして落ち込んでいるのか、原因に私たちが気づいていないともいえるのです。

少しの間、今あなたが生活のどういう分野で葛藤を覚えているか考えてみてください。
項目を挙げて、イエス様と一緒にながめてみてください。
不定愁訴、信仰から離れている子供のこと、困難な結婚生活などに直面しているところかもしれませんね。あるいは仕事が見つからなかったり、慈善寄付を無理に頼まれていたりするかもしれません。

私たち夫婦は主に仕えてきましたが、夫は奉仕で留守がちでした。
それでも、日常の仕事は全て普段どおりにこなさなければなりませんでした。
私たちの定期収入は生活していくのに不十分だったので、よく他の人からの献金や寄付に頼らなければならないことがありました。
私は自分がどれほど葛藤を感じているかを自覚していませんでした。

ある日私は青年伝道のためにピアノの献品を募りました。
電話が鳴りました。面識のある、非常に裕福な女性からでした。

「ジル、ピアノが必要だという広告を見ましたよ。」
私はわくわくして、ピアノがもらえる!と思いました。

ところが、その女性は続けて、
「うちでは最近新品のスタインウェイピアノを買いましたの。ですから、これまで使っていた古いピアノをそちらにどうかと思いまして」と言ったのです。
長年使った、古い安物のピアノをくれるというのです。
私はすかさず、「いいえ、結構です」と答えました。
「あなたのその新品ならください!」

沈黙の後、冷たくそっけない返事で電話は切れました。
受話器を握りしめながら、私は何ということをしたのかと思いました。
当然、どちらのピアノも手に入りませんでした。

思い返すと、当時のストレスと人々に頼らなければならないという状況が私にそうした反応をさせたのだと思います。
限界に達するところで、私は燃え尽き寸前だったのです。

日々のストレスの中で肉体的にも霊的にも落ち込んだ時、どのようにして霊性を維持することができるのでしょうか。


睡眠をとる。

時には、質の良い睡眠をとることさえできれば落ち込みが解決することがあります。
休息し、疲れを回復させる時間を持つ必要があります。

リラックスすることは私にとって仕事と同じです。時には文字通りカレンダーに
「木曜4:30、楽しいことをする」
と書いておかなければならないほどです。


神に聞く時を持つ。

私たちは神様の声に耳を傾けなければなりません。
神様の細い御声を聞くことのできる場所に身を置く必要があります。
私たちには独りになれる場所が必要なのです。
あなたにはそのような場所がありますか?

もし物理的に独りになることが難しければ、心の中でそうした場所へ行ってください。
騒音や人の喧騒から離れた場所です。
苦しい状況にああっても、私たちは神に聞くことを学ばなければなりません。


”日々の試練の中でも、いつも私に必要な日々の恵みがある
疲れの中で神様がかぐわしい方法で養ってくださる
緑の牧場と聖霊の流れの川で

日々の試練の中で、自分には関係のない祝福を運んでいると感じる
面白くない働きに疲れ、奴隷のように感じる

もし目をあげて神のくださる杯を飲めば、
神の与えたこれらのことがどれほどいやで辛くても
神は私の態度を変える力を持っておられる

その時私はこの困難こそ神からの贈り物だとわかる
もしこれほど低くされなかったら、どうして今より高くなることができようか”



イエス様を思う。

主イエスは私たちのリビングと同じくらいか、それより狭い家に滞在されました。
だから荒野や丘や美しい園に定期的に出て行かれました。多くの場合群衆に囲まれていたのでどこかに「退かれる」しか選択肢がありませんでした。

 私たちが覚えておくべき一つのことは、私たちは人々に仕えているのでも、会社や組織に仕えているのでもないということです。すなわち、私たちは神様に仕えているのです。
このことを忘れずにいるなら、神様は私たちに力を与えてくださり、日々のトラブルや葛藤をご自身の栄光のために用いてくださるのです。



2012/06/19

介護と自分のケア


~Caring For Yourself からの抜粋~

介護は思いのほか困難なものです。
もし与えることのできるものが自分の中に残っていなければ、あっという間に疲れ果ててしまうでしょう。
介護生活の中で、自分自身を養う機会を持つ必要があります。それは自分をいたわるというだけでなく、神により近づいて自分の力でなく「生ける水」に頼る、ということを意味します。

介護という人生の大変な時期にある人に、以下にあげるいくつかの決意をお勧めします。



1 自分の人生を送る、という決断。

自分の必要や気持ちを大切にする必要があります。自分にも必要があると認めるのは、自己中心ではありません。
神様があなたのうちにその必要をおかれたのです。介護をしていると、他の人の必要が目の前にありますが、それはあなたの必要やあなたの人生を無視する理由にはなりません。


2 助けを求める、という決断。

介護をする人が家族にすら助けを求めることができない、ということがままあります。リストを作り、家族や他の人に助けを求めましょう。経済的な援助も含めて、です。あなたが燃え尽きてしまうのを誰も見たいとは思わないでしょう。



3 限界を定める、という決断。

もし燃え尽きてしまったら、親が本当に必要な時に助けることができなくなります。限界を定めて、親が必要とすること(してほしいということではなく)、どこまで自分が責任をもてるか、自分の他に誰ができるかを考えましょう。


4 自分のために予定を立てる、という決断。 

自分のために時間をとりたければ、時間管理をするのが最善です。一日ごと、週ごと、月ごとにやることリストを作り、それを優先しましょう。自分の健康や充実した生活のために必要なことを削らないでください。日々楽しめること、内面の回復になることをとりいれましょう。


5 自分の身体的必要に気を配る、という決断。

ストレスはまず身体に現れることがよくあります。
体重の増減、不眠、頭痛・腹痛・腰の痛み・高血圧などの身体症状が現れたら、ストレスにさらされており何らかの対処が必要だという兆候だといえるでしょう。
運動、マッサージ、ジャグジー、サウナ、温泉、シャワー、そして深呼吸など、筋肉の緊張を和らげることをしましょう。「ちょっとした休暇」をとるようにしましょう。
やるべき義務から目を離し、自然の景色を楽しんだり、お茶を飲み読書をしたり音楽を聴いたりしましょう。身体によい食事をしましょう。


6 もっとよく笑う、という決断。

聖書は「陽気な心は薬のように良いものだ」(箴言17:22、KJV)と言っています。
笑う機会を増やしましょう。漫画を買う、図書館でジョーク集を借りる、クリスチャンのコメディービデオを買う、レンタルビデオ、など。笑うと心身ともにリラックスします。


7 定期的に休む、という決断。

介護する人には休息が必要です。定期的に自分の代わりをしてくれる人を見つけましょう。
誰かに頼むことを学びましょう。定期的に休暇をとって外出するのは、たまに長期休暇をとったりどこか遠くへ出かけたりすることより重要です。


8 必要なサポートを見つける、という決断。

介護される両親と同じくらい、介護する人にも精神的なサポートが必要です。家族、友人、介護者のサポートグループを探しましょう。私たちは「互いの重荷を負い合う」(ガラ6:2)ように造られています。




JBU2012夏号より
Copyright 2012 Caring for Yourself. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045



母親の母親になるとき~介護



Role Reversal 

Angela M. Shupe





「こんにちは。お母さんは多分お部屋にいらっしゃると思いますよ」
受付で声をかけられ、私は今や母にとっての「我が家」に続く、重く暗いドアを開けようとしていました。暖炉の炎が私を照らし、顔と手とを暖めてくれました。

ここが母の現在の「我が家」だとは信じがたいことです。
子どもの頃、我が家とは快適で安全とぬくもりのある場所でした。「我が家」と呼べるのは母が自然にあふれる愛を注いでくれたからでした。我が家がなくなるなんて、あり得るのでしょうか。現実にあったものがなくなってしまうなんて。母がいなければ、そこはもはや我が家ではありません。

私は母に会う心の準備をしながら、悲しくて涙がこぼれそうになるのをこらえました。自分の母を、まるで母親のように介護しなければならないという新たな現実は、すぐには受け入れられません。
二人の子どもの母親として、私にとって母親業は初めてのことではありません。
でも、それとは異なったものです。不自然で、葛藤が伴います。

私は暖炉のそばを離れ、母の部屋に向かいました。ここが子どもの頃訪れた記憶のある老人ホームと似ていないことにほっとしました。ここには暖かさがありました。


母が診断を受けて8年が経ちました。
介護生活に足を踏み入れてから、私たちの役割は逆転し始めました。
恐れていたとおり、神経科の医師は「残念ですが、アルツハイマーです」と言いました。
私は母の娘であった当時を覚えていますが、今となっては私を生み育ててくれたその人の世話をするようになったのでした。
かつて快活で頼りになった母は、もはや子どものように無邪気になってしまいました。

部屋の前に着き、私はそうっとドアを押しました。母はベッドの上に座っていて、差し込む日差しでできた影が伸びていました。

「お母さん、私よ、アンジーよ」私は静かに言いました。
「アンジー。」母は元気に足を伸ばそうとしましたが、年齢のためにゆっくりとしかできませんでした。(それでも、まだ私のことがわかっているのでほっとしました。)

「アンジー、来てくれてうれしいわ。寂しかったのよ。ずいぶん顔を見なかったじゃない。」
私たちは肩を抱き合いました。
「お母さん、私もよ。顔を見られてうれしいわ。」

私は母が思い出せないとわかっていたので、2日前に来たことにはふれずにそう言いました。
「座って話しましょう、お母さん。」
「そうね」

母が足を滑らせて転ばないように注意しながら、私たちはゆっくりとベッドの方に戻りました。
ベッドの上にひざ掛けを広げ、会話を始めました。

「体の調子はどう、お母さん」
「ええ、大丈夫よ」母は早口でいうと、私がどうしていたかを聞きたがりました。

「アンジー、あなたはどうしていたの。心配していたのよ。えーっと、あなたの・・・なんていう名前だっけ。どうして思い出せないのかしら。」がっかりした口調で母は言いました。

「ジェラードのことね。孫の。」
「そう、ジェラードだったわ。元気にしてる?」
「元気よ、そしてもう一人の孫のソフィアも元気よ。あっという間に大きくなるけれど」

母が孫のことを本当に覚えているのか疑問に思いながら、私は言いました。

「お父さんには会った?ニューヨークにいるのかしら」母が尋ねました。

「ニューヨークですって?」私は言葉を失いました。変なことを言うものだと思いました。
父はニューヨークに住んだことはなく、結婚以来ずっとミシガンで仕事も家庭生活も送ってきたからです。

「お父さんには会っていないけど、電話で話したら元気だと言っていたわよ。確か昨日ここに来たと思うのだけど」
「え、そうだったかしら?忘れちゃったみたい。彼に会いたいわ」

私の訪問も、母の記憶からはすぐに忘れ去られてしまうのだと思うと寂しくなり、私の心は沈みました。

「あなたはお父さんに会ったの?」母がまた尋ねました。
「ううん、会ってはいないけど、元気にしているのは知っているわ」私は再び答えました。

「ジェラードはどうしているの」
「とっても元気よ。ちょうど8歳になって、3年生よ。」
「まあ、3年生ですって!」母は心の底から驚いたようでした。

何度も何度も同じ質問の繰り返しでした。そのたび、私は優しく答えました。

私は自分の生活についてできるだけわかりやすく話しはじめました。「時々息子とどう接したらよいかわからなくなるのよ」
母からは笑顔の他にどんな知恵ももらえないと知りながら、私は話を終えました。


母は顔を上げ、私の目をじっと見つめました。「アンジー、あなたは素晴らしい母親よ。彼は変わっていくのだから、じっと見守っていたらよいの。成長には少し時間が必要だけど、心配しなくても大丈夫よ。」はっきりと自信のある口調で母は言いました。


私ははっとしました。
子どもの頃励ましの言葉をかけてくれたのと同じ女性が、私の前にいました。そして母親としてのまなざしで私に話してくれていました。


・・・私の心の目には、老いた母の顔は消え、玄関の入り口に座ったずっと若い女性が見えました。しわがなく、オリーブ色のなめらかな肌と茶色の目をしていることが、彼女がフィリピン系とイタリア系の血をひく女性であることを示していました。ペイズリーのロングスカートとクリーム色のブラウスを着て、一連のパールのネックレスをしていました。

「アンジー、何があったか話してごらん」10歳のやせた少女だった私に彼女は言いました。
その直前、家の中で私はきつい口調で話していました。彼女は私の言葉の背後に何かがあると察し、真実を聞き出そうとしました。
その日は学校で特にいやなことがありました。私に向かって発せられた言葉は相手に有利となり、不公平な結果に私の幼い心は傷ついたのでした。

彼女は静かに私の話を聴き、涙をぬぐってくれ、私とよく似た境遇で、戦争のため家も国も失った女の子の話を始めました。

それは、戦争で占領された地に、私と同じような問題に直面した少女がいた、というものでした。クラスメートが何気なく言った言葉が、戦争の混乱の中でさえも少女の心を傷つけたのでした。

彼女の話は初耳でした。これまで聞いたことがありませんでした。でも言いたいことは明らかでした。大変な困難の中にあっても、脱出できる。やり遂げられるのだ、ということでした。

彼女が話を始める前から私は反省していました。そして泣きながら謝りました。私のひどい言葉にもかかわらず、彼女は私を無条件で愛してくれていました。

「アンジー、たとえあなたがひどいことをしても、決してあなたを嫌いになることはないわ。だって、私はあなたのお母さんなんだし、いつもあなたを愛しているのだから。」
彼女は話を終え、私を抱き寄せてくれました。・・・



現実の母の目を見て、私は何も言えなくなりました。ずっと老いた女性である母の言葉を聞いて、私は長年の介護生活で初めて深い話ができたことに感動しました。そして改めて、母が私をありのままを見ていてくれるということに嬉しさを覚えました。何も言いませんでしたが、代わりに母に向かってほほえみました。

「お母さん、散歩しましょう」私は母の上着のボタンを留め、彼女を慎重に立たせました。私たちは並んで廊下からサンルームに歩いて行きました。窓の外には大きな楓の木があり、色づいていました。
「お母さん見て、とってもきれいな葉の色ね。」
母は私の手を握り、私を支えにしていました。母の愛は真実だとわかって私は心強い思いでした。きっとできるわ、と私は思いました。母の母親代わりになってあげられる。母を愛しているのですから。

「お父さんも一緒だったらよかったのに。お父さんに会った?」
母はまた尋ねました。私たちは日差しの中、散歩を続けました。


JBU2012夏号より
Copyright 2012 Angela Shupe. Translated 
from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

2012/03/27

断食の恵み

~なぜ断食するのか     

Lisa E. Nelson
   

断食には大きな力がある

断食はシンプルな行為ですが、易しいことではありません。断食はクリスチャンを整える、霊的訓練の一つです。聖霊に満たされ、イエスの似姿に近づくために私たちは断食をします。

訓練とは神様が私たちを造り変え、成熟・勝利・キリストにある自由をもたらすために用いられる霊的な手段です。訓練そのものが私たちを変えたり豊かな人生をもたらしたりするのではなく、神様ご自身がそうしてくださるのです。祈りと断食(その他の訓練も)は信仰の歩みに必要な手段です。


断食とは何か

まず、断食といえないのは、全てあるいは特定の食物を、ある一定の期間食べないことです。単なる「食べないこと」は「ダイエット」か、悪く言えば「飢餓」です。それは断食ではありません。断食とは心の底から神様を知り求めたいという願いです。断食はもっと神様と親密になりたいので、100%良いものをあえてやめることなのです。それは物理的な行為を通しての霊的な訓練です。

聖書に見る伝統的な断食は24時間食事を取らず、飲み物だけで過ごすことです。夕方から始まり次の日の夕方まで行われるものでした。テレビ、インターネット、買い物などを断つという方法もあります。もし食物を断つことが合わないのなら、それらもよい方法でしょう。

真に聖書的な断食とは一心に神を尋ね求める内面的な訓練であり、常に謙遜が必要とされます。自我を人生の王座から蹴落とし、神様が王、支配者となられることを選びとるのです。1食、2食、24時間、飲み物だけ、特定の食物だけ、週ごと、月ごと、年ごと、の断食が可能でしょう。きまりだからではなく、神様への心の叫びから断食します。神様は私たちそれぞれに合ったやり方を導いてくださいます。

断食と祈り

断食というと、通常「食べないこと」を思い浮かべます。でも実際には、祈りのない断食はありえません。単なる「食べないこと」が断食ではありません。断食は神様に全力で集中するために食事やある食べ物をとらないことです。食べ物を慎むことではなく、祈りのうちに神様と時間を過ごすことこそ、断食の目的です。

断食する理由はさまざまです。今日から、24時間またはそれ以上の断食をあなたの生活に取り入れられないでしょうか。断食をする5つの理由を考えてみましょう。

1.個人の霊的成長と自分の要塞に勝利するため

霊的成長が目指すのは霊的な成熟です。霊的に成熟するために、私たちは聖霊に満たされ、自らを無にする必要があります。そして自分を無にするとは、へりくだる別の方法です。ですから断食のために謙遜が必要なだけではなく、断食は謙遜を教えてくれるのです。

空腹にもかかわらず断食を続けるなら、神様に従うことができるのだという確信が与えられます。私たちの生活よりも神様を愛していることを自分に示すのです。従順を選ぶがゆえに食べないのです。

断食が終わっても、従順の学びは続きます。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです(マルコ8:34-35)」というイエス様の言葉が何を意味するかを、私たちは理解します。

神様は断食の訓練を通して、私が気づかないうちに作っていた要塞から自由にしてくださいました。

それは礼拝メッセージを聞いていた時に始まりました。説教者が、キャンパス・クルセード・フォー・クライストのビル・ブライト博士のことを語り始めました。博士は主の促しにより、200万人のクリスチャンが国のために40日間断食するよう祈れと導かれました。それを聞いた瞬間、私もその200
万人の一人だということがわかったのでした。

自分の意思ではなく、そうするように促されたのです。心の中で聖霊が40日間断食するよう、まさに私に語られていることを感じました。

2年間にわたって私は母国とリバイバルのためにとりなしの祈りをしました。車で通りかかった全ての教会のために祈りました。それは持続的な祈りへの重荷でした。ブライト博士による国へのとりなしの断食の呼びかけを聞いたとき、私の頭の中で電球が灯ったようでした。

私は自分が母国のために断食して祈ったのだ、と思っていました。確かにそうでした。しかし、神様はその40日間を私自身の変革のためにも用いられました。食事をささげると共に、私は聖書と信仰書だけを読むようにと導かれました。ある日グルメ雑誌に目がとまりました。とても読みたくなりました。手を伸ばしてそれを取ろうとした時、心の中のチェックリストが働きました。

「祈ったか・・・イエス。聖書を読んだか・・・イエス。教えられたことを記録したか・・・イエス。・・・ならば好きなことをしてもよい。」と。

ところで40日間の断食中、私が本当に求めたことは何だったでしょうか。神様に近づくこと?アメリカのリバイバル?残念ながら違いました。食べ物のことを考えたくなりました。でもそれは、空腹だからではありませんでした。そうではなく、食べ物が恋しかったのです。食べ物が大好きだったのです。私は食べ物を神様の位置に置いていました。食べ物が私の慰めでした。食べ物が私の喜びでした。食べ物が私の偶像でした。

衝撃でした。偶像崇拝?唯一の神様以外を礼拝しているなんて?私が?でもそれが現実でした。

イエス様は「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします(ヨハネ8:32)」と言われました。私はようやくこの聖句の意味がわかりました。もっと運動し、よい食生活を送らなければと思っていましたが、主が私の本当の状態に目を開かせてくださるまでは、私の体重が霊的な事柄だとは思っていませんでした。

霊的な問題には霊的な解決があります。霊的な罪の問題、要塞、偶像崇拝は意志の力では決して乗り越えることができません。それらは神様に服従する時、神様が勝利してくださるのです。神様は断食という訓練を通して真実を私に教えてくださり、私を要塞から自由にしてくださったのです。

2.とりなしと願いのため

断食するのは神様のみこころをはっきり知るため、とりなしのため、あるいは霊的な戦いに対する力を得るためだと思うかもしれません。でも、実際には神様の栄光ある豊かさにより、内住される聖霊を通して神様は私たちに力を与えてくださり、キリストが信仰により私たちの内に住んでくださるようになるのです。キリストの愛がどれほど広く、長く、深いものであるかがわかり始めます。

もし他の人の救いのためや、神様から離れた人が立ち返るため、結婚の申込のために断食しているなら、祈りが聞かれるだけでなく、あなたが永遠を求めるよう変わっていることに驚くかもしれません。

聖書には、とりなしの力を求めて断食する記事がよく出てきます。

エステルは王に嘆願する前、侍女とシュシャンに住む全てのユダヤ人に3日間の断食を命じ、ついにユダヤ人の解放をかち取りました(エステル3-9章)。全国、全都市が断食ととりなしにより祝福を受けました。

もしあなたが祈りへの重荷を持続的に持っているなら、神様に断食の祈りをも含めることができるか尋ねてみる時かもしれません。救われていない家族のために断食し祈ってください。わがままな放蕩息子のために断食し祈ってください。破綻している結婚のために断食し祈ってください。重大な決断をしようとしている子どもたちのために断食し祈ってください。そして、神様の答えと時にゆだねましょう。


3.霊的戦いのため

私たちは戦いの中にいます。いつも霊的な戦いの中にいるのです。「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります(ヤコブ4:7)」を知っている人は多いでしょう。でもその聖句が「神に従いなさい。そして」で始まっていることを知っている人はどのくらいいるでしょうか。もし戦いのただ中で悪魔の攻撃を受けているなら、断食をして神様の前にへりくだり、神に従いましょう。そうすれば、悪魔に立ち向かって勝利を得ることができます。

神様に服従すると同時に、霊的な戦いにおける私たちには「御霊の与える剣である、神のことば(エペソ6:17)」という武器があります。断食の間、みことばを用いて祈り、みことばを黙想し、暗記し、声に出して宣言すれば、それが私たちの持つ何よりも強力な武器となります。


4.断食に召されているから

聖書でイエス様が断食を命じておられる箇所はありません。イエス様に従うために必要なのは信仰だけです。しかし、訓練は信仰を養うのに有益であり、聖徒たちが信仰に基づく人生を歩むのを助けます。

もしあなたが24時間以上の断食に召されているなら、霊的な権威で覆ってくれる人々に祈りの要請をしてこの召しを確認してください。もしそれが神様のみこころなら、神様は必ずあなたのために道を開いてくださいます。断食は自分自身が全くへりくだることです。この大事なステップを無視しないようにしましょう。


5.危機に陥っており、断食を求めるため

2001年の4月は私にとって大変な時でした。2歳の息子は手術を受ける予定で、4歳の娘は広い範囲の歯の治療を受けていました。私は女性の週末リトリートで奉仕をする準備がありましたし、夫は海外出張中でした。さらに、転居準備としてヤードセールで持ち物を処分しなければなりませんでした。これら全てが4週間のうちに起ったのです。どれから祈ってよいのかわからないくらいでした。

そこで24時間の断食をし、神様に背負っている全てのことについて断食し祈ることができるか尋ねました。そして断食により、平安と確信をもって祈れるようになりました。全ての祈りが答えられました。私にはその「試練の月」と呼んでいる時期を乗り切るための断食にあたり、力と集中力が必要でした。その大変な時期に、神様がどれほど真実に一つ一つの必要について語ってくださったかを、私は決して忘れません。特別な祈りの課題があったからでしたが、その断食によって私は信仰が強められ、大胆に祈ることができるようになりました。神様に全ての栄光をお返しします。

聖書には通常24時間の断食が出てきます(例えば毎年の長い断食よりも)が、その理由は断食が定期的な訓練あるいは習慣として実践するのに最もよいものだからだと思います。私たちが絶えずへりくだって神様を求めるなら、神様は見つけられ、私たちは変えられます。信仰が成熟し、内面から変えられるのです。


(著書「女性のための断食の手引き」より)



Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(5)

5 ふりかえり、 再評価し、 選ぶ。 主とともに歩みながら、目標を設定し、毎日のよい習慣を実践してください。 途中で立ち止まり、熟考し、再評価し、選択することです。 Intentional living は、大陸横断紀行によく似ています。 走行中に車を停め、燃料を補給する必要があ...