2012/06/19

介護と自分のケア


~Caring For Yourself からの抜粋~

介護は思いのほか困難なものです。
もし与えることのできるものが自分の中に残っていなければ、あっという間に疲れ果ててしまうでしょう。
介護生活の中で、自分自身を養う機会を持つ必要があります。それは自分をいたわるというだけでなく、神により近づいて自分の力でなく「生ける水」に頼る、ということを意味します。

介護という人生の大変な時期にある人に、以下にあげるいくつかの決意をお勧めします。



1 自分の人生を送る、という決断。

自分の必要や気持ちを大切にする必要があります。自分にも必要があると認めるのは、自己中心ではありません。
神様があなたのうちにその必要をおかれたのです。介護をしていると、他の人の必要が目の前にありますが、それはあなたの必要やあなたの人生を無視する理由にはなりません。


2 助けを求める、という決断。

介護をする人が家族にすら助けを求めることができない、ということがままあります。リストを作り、家族や他の人に助けを求めましょう。経済的な援助も含めて、です。あなたが燃え尽きてしまうのを誰も見たいとは思わないでしょう。



3 限界を定める、という決断。

もし燃え尽きてしまったら、親が本当に必要な時に助けることができなくなります。限界を定めて、親が必要とすること(してほしいということではなく)、どこまで自分が責任をもてるか、自分の他に誰ができるかを考えましょう。


4 自分のために予定を立てる、という決断。 

自分のために時間をとりたければ、時間管理をするのが最善です。一日ごと、週ごと、月ごとにやることリストを作り、それを優先しましょう。自分の健康や充実した生活のために必要なことを削らないでください。日々楽しめること、内面の回復になることをとりいれましょう。


5 自分の身体的必要に気を配る、という決断。

ストレスはまず身体に現れることがよくあります。
体重の増減、不眠、頭痛・腹痛・腰の痛み・高血圧などの身体症状が現れたら、ストレスにさらされており何らかの対処が必要だという兆候だといえるでしょう。
運動、マッサージ、ジャグジー、サウナ、温泉、シャワー、そして深呼吸など、筋肉の緊張を和らげることをしましょう。「ちょっとした休暇」をとるようにしましょう。
やるべき義務から目を離し、自然の景色を楽しんだり、お茶を飲み読書をしたり音楽を聴いたりしましょう。身体によい食事をしましょう。


6 もっとよく笑う、という決断。

聖書は「陽気な心は薬のように良いものだ」(箴言17:22、KJV)と言っています。
笑う機会を増やしましょう。漫画を買う、図書館でジョーク集を借りる、クリスチャンのコメディービデオを買う、レンタルビデオ、など。笑うと心身ともにリラックスします。


7 定期的に休む、という決断。

介護する人には休息が必要です。定期的に自分の代わりをしてくれる人を見つけましょう。
誰かに頼むことを学びましょう。定期的に休暇をとって外出するのは、たまに長期休暇をとったりどこか遠くへ出かけたりすることより重要です。


8 必要なサポートを見つける、という決断。

介護される両親と同じくらい、介護する人にも精神的なサポートが必要です。家族、友人、介護者のサポートグループを探しましょう。私たちは「互いの重荷を負い合う」(ガラ6:2)ように造られています。




JBU2012夏号より
Copyright 2012 Caring for Yourself. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045



母親の母親になるとき~介護



Role Reversal 

Angela M. Shupe





「こんにちは。お母さんは多分お部屋にいらっしゃると思いますよ」
受付で声をかけられ、私は今や母にとっての「我が家」に続く、重く暗いドアを開けようとしていました。暖炉の炎が私を照らし、顔と手とを暖めてくれました。

ここが母の現在の「我が家」だとは信じがたいことです。
子どもの頃、我が家とは快適で安全とぬくもりのある場所でした。「我が家」と呼べるのは母が自然にあふれる愛を注いでくれたからでした。我が家がなくなるなんて、あり得るのでしょうか。現実にあったものがなくなってしまうなんて。母がいなければ、そこはもはや我が家ではありません。

私は母に会う心の準備をしながら、悲しくて涙がこぼれそうになるのをこらえました。自分の母を、まるで母親のように介護しなければならないという新たな現実は、すぐには受け入れられません。
二人の子どもの母親として、私にとって母親業は初めてのことではありません。
でも、それとは異なったものです。不自然で、葛藤が伴います。

私は暖炉のそばを離れ、母の部屋に向かいました。ここが子どもの頃訪れた記憶のある老人ホームと似ていないことにほっとしました。ここには暖かさがありました。


母が診断を受けて8年が経ちました。
介護生活に足を踏み入れてから、私たちの役割は逆転し始めました。
恐れていたとおり、神経科の医師は「残念ですが、アルツハイマーです」と言いました。
私は母の娘であった当時を覚えていますが、今となっては私を生み育ててくれたその人の世話をするようになったのでした。
かつて快活で頼りになった母は、もはや子どものように無邪気になってしまいました。

部屋の前に着き、私はそうっとドアを押しました。母はベッドの上に座っていて、差し込む日差しでできた影が伸びていました。

「お母さん、私よ、アンジーよ」私は静かに言いました。
「アンジー。」母は元気に足を伸ばそうとしましたが、年齢のためにゆっくりとしかできませんでした。(それでも、まだ私のことがわかっているのでほっとしました。)

「アンジー、来てくれてうれしいわ。寂しかったのよ。ずいぶん顔を見なかったじゃない。」
私たちは肩を抱き合いました。
「お母さん、私もよ。顔を見られてうれしいわ。」

私は母が思い出せないとわかっていたので、2日前に来たことにはふれずにそう言いました。
「座って話しましょう、お母さん。」
「そうね」

母が足を滑らせて転ばないように注意しながら、私たちはゆっくりとベッドの方に戻りました。
ベッドの上にひざ掛けを広げ、会話を始めました。

「体の調子はどう、お母さん」
「ええ、大丈夫よ」母は早口でいうと、私がどうしていたかを聞きたがりました。

「アンジー、あなたはどうしていたの。心配していたのよ。えーっと、あなたの・・・なんていう名前だっけ。どうして思い出せないのかしら。」がっかりした口調で母は言いました。

「ジェラードのことね。孫の。」
「そう、ジェラードだったわ。元気にしてる?」
「元気よ、そしてもう一人の孫のソフィアも元気よ。あっという間に大きくなるけれど」

母が孫のことを本当に覚えているのか疑問に思いながら、私は言いました。

「お父さんには会った?ニューヨークにいるのかしら」母が尋ねました。

「ニューヨークですって?」私は言葉を失いました。変なことを言うものだと思いました。
父はニューヨークに住んだことはなく、結婚以来ずっとミシガンで仕事も家庭生活も送ってきたからです。

「お父さんには会っていないけど、電話で話したら元気だと言っていたわよ。確か昨日ここに来たと思うのだけど」
「え、そうだったかしら?忘れちゃったみたい。彼に会いたいわ」

私の訪問も、母の記憶からはすぐに忘れ去られてしまうのだと思うと寂しくなり、私の心は沈みました。

「あなたはお父さんに会ったの?」母がまた尋ねました。
「ううん、会ってはいないけど、元気にしているのは知っているわ」私は再び答えました。

「ジェラードはどうしているの」
「とっても元気よ。ちょうど8歳になって、3年生よ。」
「まあ、3年生ですって!」母は心の底から驚いたようでした。

何度も何度も同じ質問の繰り返しでした。そのたび、私は優しく答えました。

私は自分の生活についてできるだけわかりやすく話しはじめました。「時々息子とどう接したらよいかわからなくなるのよ」
母からは笑顔の他にどんな知恵ももらえないと知りながら、私は話を終えました。


母は顔を上げ、私の目をじっと見つめました。「アンジー、あなたは素晴らしい母親よ。彼は変わっていくのだから、じっと見守っていたらよいの。成長には少し時間が必要だけど、心配しなくても大丈夫よ。」はっきりと自信のある口調で母は言いました。


私ははっとしました。
子どもの頃励ましの言葉をかけてくれたのと同じ女性が、私の前にいました。そして母親としてのまなざしで私に話してくれていました。


・・・私の心の目には、老いた母の顔は消え、玄関の入り口に座ったずっと若い女性が見えました。しわがなく、オリーブ色のなめらかな肌と茶色の目をしていることが、彼女がフィリピン系とイタリア系の血をひく女性であることを示していました。ペイズリーのロングスカートとクリーム色のブラウスを着て、一連のパールのネックレスをしていました。

「アンジー、何があったか話してごらん」10歳のやせた少女だった私に彼女は言いました。
その直前、家の中で私はきつい口調で話していました。彼女は私の言葉の背後に何かがあると察し、真実を聞き出そうとしました。
その日は学校で特にいやなことがありました。私に向かって発せられた言葉は相手に有利となり、不公平な結果に私の幼い心は傷ついたのでした。

彼女は静かに私の話を聴き、涙をぬぐってくれ、私とよく似た境遇で、戦争のため家も国も失った女の子の話を始めました。

それは、戦争で占領された地に、私と同じような問題に直面した少女がいた、というものでした。クラスメートが何気なく言った言葉が、戦争の混乱の中でさえも少女の心を傷つけたのでした。

彼女の話は初耳でした。これまで聞いたことがありませんでした。でも言いたいことは明らかでした。大変な困難の中にあっても、脱出できる。やり遂げられるのだ、ということでした。

彼女が話を始める前から私は反省していました。そして泣きながら謝りました。私のひどい言葉にもかかわらず、彼女は私を無条件で愛してくれていました。

「アンジー、たとえあなたがひどいことをしても、決してあなたを嫌いになることはないわ。だって、私はあなたのお母さんなんだし、いつもあなたを愛しているのだから。」
彼女は話を終え、私を抱き寄せてくれました。・・・



現実の母の目を見て、私は何も言えなくなりました。ずっと老いた女性である母の言葉を聞いて、私は長年の介護生活で初めて深い話ができたことに感動しました。そして改めて、母が私をありのままを見ていてくれるということに嬉しさを覚えました。何も言いませんでしたが、代わりに母に向かってほほえみました。

「お母さん、散歩しましょう」私は母の上着のボタンを留め、彼女を慎重に立たせました。私たちは並んで廊下からサンルームに歩いて行きました。窓の外には大きな楓の木があり、色づいていました。
「お母さん見て、とってもきれいな葉の色ね。」
母は私の手を握り、私を支えにしていました。母の愛は真実だとわかって私は心強い思いでした。きっとできるわ、と私は思いました。母の母親代わりになってあげられる。母を愛しているのですから。

「お父さんも一緒だったらよかったのに。お父さんに会った?」
母はまた尋ねました。私たちは日差しの中、散歩を続けました。


JBU2012夏号より
Copyright 2012 Angela Shupe. Translated 
from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(5)

5 ふりかえり、 再評価し、 選ぶ。 主とともに歩みながら、目標を設定し、毎日のよい習慣を実践してください。 途中で立ち止まり、熟考し、再評価し、選択することです。 Intentional living は、大陸横断紀行によく似ています。 走行中に車を停め、燃料を補給する必要があ...