2016/07/27

きちんとできなくても ~その2~


最も大切なことを優先する(続き)

Vicki Courtney

その1はこちらから


私の祈りの生活は、日ごとのある決まった時間というよりは、一日を通しての神様との会話に近いものです。
一日の中で神様の多くの恵みに気づいたときに、神様をほめたたえます。
また、神様のみわざに気づいたときに、時間をとってそれを味わいます。
時には大好きな賛美のプレイリストを再生して、賛美曲のすばらしさに涙を流します。
神様の前に静まる時間がどのくらいかはわかりません。
なぜなら、一日を通じて絶えず神様の前に出ているからです。

ついに私は、このやり方(決まったやり方のない)が最も自分に適していることがわかりました。
そして、何か規則に従うというよりは、神様との関係を築くことに焦点を合わせています。


あなたが日々忠実に時間を守っておられるでしょうが、それが喜びからというよりはむしろ義務になっているかもしれません。
神と共に過ごす時間が、私にとって必要な時間、というよりは単なる「なすべきこと」になっているかもしれません。
もしそうなると、デボーションの足跡はあなたの熱心さを示すだけで、信仰は弱ってしまいます。

行いによる善は、神様との誠実で豊かな関係に導くことはほぼありません。
マリアはイエス様の足元に座りました。
それは、彼女がその時間を絶対に必要であると考えたからでした。
単なるTo-doリストの一つにチェックを入れるためではありませんでした。

神様と定期的に欠かさず過ごそうとするあまり、その過程で神様が不在になってしまうことがあります。
言い換えれば、そこに登録されてはいるものの、神様の声を聞く時にはいないかもしれないのです。
もし神様と過ごす時間がこうでなければ、という方式にこだわると、その時間は特権にあずかる時ではなく、いやいやながらの義務になります。

質問をします。

もし神様との時間を過ごさなかったら、神様と交わらなかったことが気になりますか?それとも、一日抜けてしまったという事実が気になりますか?


あなたの答えが、あなたのデボーションの動機が何かを知るよい目安になります。
神様と過ごすことについて、今まで持っていた動機を捨てたらどうなりますか?
神様と過ごすことについて、どうしたらデボーションを習慣化するかについて今まで持っていたイメージを捨て、新たな思いで始めたらどうでしょうか?
神様と過ごす方法は、他人の方法があてはまるとは限らないのです。


もし継続して神様と交わることができなければ、神がどのようなお方であり、どれほど私達を愛しておられるのかを、た易く忘れてしまいます。
失望、怒り、告白されない罪、答えられない祈り、応じられない期待、そのほか様々な邪魔で、私たちは神様から遠い気持ちになり、神様を避けるように誘惑されるのです。
神様を避けても、魂には不安がつのるばかりです。
私達は神様にあって真の安息を得るように造られているのですから。

もし神様を避けてきたなら、「あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(へブル4:16、新改訳第三版)」。

神の御座に近づいて、心を注ぎ出しましょう。
もし祈りが答えられなくて心が辛いなら、神様にそのまま伝えましょう。
もしからみつく罪にとらわれているなら、神様のところに行って告白しましょう。
過去の重荷を背負っているなら、神様の恵みを思い出して解放されるように願いましょう。

上の節で使われている「大胆に」はギリシャ語で「parrhesia(パルヘシア)」です。
「はっきり言うこと、率直さ、単刀直入に」という意味があります。
神様は受け止めてくださいます。
あなたが、神様は受け止めてくださらないのでは、と想像しているだけなのです。
今がその関係を修復する時です。
もし罪のなわめに苦しんでいるなら、一晩での修復は難しいかもしれませんが、神様に近づこうとする思いから回復は始まります。
放蕩息子の帰りを待っていた父親のように、神様はあなたを待っておられます(ルカ15:20)。

神様はあなたのことを怒ってはおられません。
また、あなたの反抗を罰しようと御座に座っている方でもありません。
あなたは限られた恵みのおこぼれをもらおうとして、疲れ果てることはないのです。

神様は、あなたの罪を覆うために恵みを惜しまない方です。
何度でも繰り返し言います。
神様は、あなたのどんな理由にもかかわらず、そばに来なかったことを責めることはなさいません。
あなたが必要な時に恵みとまことを施したい、と願い待っておられるのです。

神様との関係を妨げているものが何であっても、あなたの魂は神を必要としており、神様に立ち返って初めて安息を得るのです。
少し立ち止まってみましょう。

全地の神があなたを罪から救ってくださっただけでなく、あなたを知りたい、そしてあなたにもご自身を知ってほしいと願っておられるという、素晴らしい奥義について考えてください。

この驚くべき事実を知るなら、私達はひざをかがめて感謝と礼拝をささげたいのではありませんか。
神様は私達の人生に無理に入ってこようとはなさいません。
私達が選ぶ自由意志を与えておられます。
私達の多くは疲れ果て、混沌と混乱と義務でいっぱいの生活以外見えなくなっています。
けれども、私達にはもう一つの選択肢があります。
それはより良いもので、混乱した魂に安息をもたらすのです。

あなたはその良い方を選んでいますか?
そうでないなら、もうためらうことはありません。



Just Between Us 誌 2016 夏号より翻訳   Original title: "Quiet-Time Flunkie"  
Copyright 2016 Vicki Courtney. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

きちんとできなくても ~その1~



最も大切なことを優先する






Vicki Courtney





「デボーション」という言葉を見聞きした時、あなたはどのように感じますか。
信仰生活の中で、それほど負担でないものの、私はある程度罪悪感を感じてきました。
それは、どんなに努力しても、クリスチャンの多くの先輩たちが指導してくれるようなデボーションの時をきちんと決めてとることができなかったからです。

私はデボーションの記録をつけようと思って日記帳を何冊も持っていますが、未使用か初めの数ページ使っただけになっています。
聖句を覚えようとして買ったカードや蛍光ペンも未開封のままです。
各種の聖書通読表や週ごとの祈りの表も、ずっとそのままになっています。


「完璧な」デボーションの習慣についてのセミナーに参加するたび、勧められたものをそろえ、目覚まし時計をセットしてきました(なぜなら、「よいクリスチャン」は朝にデボーションを持つのがよい、とされていますから)。
今度こそ、と決意を新たにしてその都度チャレンジするのですが、一週間が過ぎるころには遅れをとり、強い決意も半分くらいになってしまうのでした。

ほどなく、目覚ましは解除され、何も書かれていない日記帳と暗記カードが、これまでの未使用のグッズの数々とともに部屋の棚に並んで収められる、という状態になるのです。
私はいわばデボーションの失敗者でした。
聖書を読むこと、祈ることがきらいなのではありませんが、他のクリスチャンが普通にできるという決まったデボーションのやり方を続けることができなかったのです。


一方、私の夫は整った日々のデボーションを続けるという点では見本のような人物です。
(冗談ですが)もし「デボーション」を辞書で引くなら、聖書を抱え、黄色の蛍光ペンを手に持ち、神様のご人格について書かれた古いプリント(神に喜ばれる者となるため、月ごとにそれぞれのご人格について学ぶための資料)を持って微笑んでいる夫が出てくるでしょう。
夫はそのような人です。
もし私がデボーションの失敗者なら、夫はデボーションに成功しすぎた人といえるでしょう。

夫と私は性質がずいぶん異なります。
夫はなんでもきちんとしたい性格ですが、私はそうでもありません。
長年の間、私はデボーションのやり方を守れないことで劣等感を感じてきました。
さらに、私は神の御座に近づこうとする時、神様が腕時計の文字盤を指でたたきながら、頭を横にふっている姿を想像していたのです。
「おお、またあなたですか(深いため息)。もう時間なのに。
洗濯機が故障したり携帯電話が鳴ったりしても、これが電車の時刻だと思って、乗り遅れないように10分で対処できるか、試してみましょう。」

もし神様を、義務を課す恐い方だと考え、私達の心よりも行いを重視される方だとおもうなら、
神様に会うことは関係を持つというよりも、ただ規則を守ることのようになってしまいます。

しかし、デボーションのやり方に失敗したと思うのをやめ、神様がある決まったやり方しか受け付けないという思い込みを捨てた時、罪悪感からではなく、純粋に心から神様をしたい求める思いがやってきました。
ある人に適した方法が、他の人にも適しているとは限りません。
私にはOne-Year Bible(新旧約、詩篇、箴言が1日ごとに分かれていて、365日で聖書全体を通読できるもの)が一番合っています。
もし1日(かそれ以上)読み忘れても、前の日に戻って読むことができますし、時にはそれを飛ばして当日の箇所を読みます。
また、聖書のソフトウェアを購入してコンピューターに入れ、時間の許すときにはその日の聖書箇所とは別に、先の箇所を読むこともあります。
ある聖句や箇所の意味をよく理解するために、ギリシャ語やへブル語の原語の意味や主要な概念を調べたり、いくつかの注解書にあたったりしようとも思います。
手元の聖書は3,4日開かないで、ある1節に1,2時間心を集中して調べる夜もあります。
それは私に、より深い洞察を与えてくれます。


(その2に続く)


Just Between Us 誌 2016 夏号より翻訳   Original title: "Quiet-Time Flunkie"  
Copyright 2016 Vicki Courtney. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 


2016/07/26

希望の封筒~JBU、日本の人々にも届いています~




希望の封筒~JBU、日本の人々にも届いています~



Erica Chang エリカ・チャン


(文中は敬称略)






冷水が入ったガラスポットを想像してみてください。
グラスに注ぐと、のどの渇いた周りの人々はその水を飲んでほっとし、新たな力を得るでしょう。
でも、もしガラスポットに水が補充されなかったら、ポットはやがて空っぽで渇いてしまいます。


そのガラスポットのように、ジャネット・トンプソンは宣教師として、家族とともに日本で仕えていました。
霊的に暗い歩みをしている人々に、主の福音を届けようと、時間もエネルギーもささげていました。
しかし、しばしば水の補充されないガラスポットのように、渇きを覚えていました。

彼女と同じ宣教団体から派遣されたメンバーは各地に散っていたため、信仰を分かち合う集まりを持つことは難しい状態でした。
さらに、初めの数年は彼女が日本語で礼拝のメッセージを理解することも難しく、霊的な養いを十分受けることができませんでした。


彼女を励ましたのは1通の封筒でした。
一見何の変哲もない茶色の封筒は、年に4回ジャネットのところに届きました。
中には本誌(Just Between Us)が入っていました。
彼女は午後のひと時、紅茶を飲みながら最新号の記事を読むのを心待ちにしました。

「まるで友達と一緒に座っているようでした」と彼女は言います。
「聖書の教え、励ましの言葉、宣教のアイデアなどを吸収しました。
まさに魂の食物でした。」


ジャネットは恵みを独り占めにしませんでした。
日本にいる他の宣教師たちの励ましと支えにもなるだろうと知っていたからです。
読み終えると、彼女は本誌からつながりを持つようになった、約15人もの女性たちに回しました。

限られた機会にしか宣教師の女性たちは交わりを持つことができませんでしたが、彼女たちはそこで本誌の記事について語り合い、まるで渇いたガラスポットが水で満たされるように新たな励ましを受けました。


やがてジャネットは、日本人の働き人で本誌から同じように励ましと支えを受けていた、綾子とつながりを持ちました。
ジャネット、綾子、そしてジャネットの友人の智恵子は協力してJBU-Japan (Just Between Us Japan)を立ち上げました。
2007年にはJBU-Japanのウェブサイトが開始され、綾子と智恵子によって本誌の記事が日本語に翻訳されました。

ジャネットはこの新しい働きについて同僚、仲間の宣教師、日本のクリスチャンたちに知らせました。
ウェブサイトはそれ以来、日本のクリスチャン女性たちを励ますための貴重な情報源となっています。


本誌は25年前に宣教のニュースレターとして始まり、JBU-Japanは海を越えて国際的に広がった働きのほんの一例にすぎません。
必要を覚える人々に届き続けるため、一度の値上げを除いて価格は据え置かれてきました。
それゆえ、購読料だけでは紙面の発行とウェブサイトの維持を満たすことができません。

けれども神様は、誠実に支えてくださるJBUのパートナーを与えてくださいました。
多くの読者の方はご存知ないかもしれませんが、ジャネットや日本の渇いた魂を励ましてきた紙面の発行は、こうしたパートナーの方々の貴重な献金によるところが大きいのです。

ささげてくださる兄姉は、読者の女性の信仰の歩みを励まし支えることを信じておられます。
遠く、近くの国々にいるこうした兄姉は、女性を励ましたいと情熱を持っています。
真心をこめて、本誌を支えることを主からの召しととらえておられます。
思い切ってささげることが、ジャネットや日本の友人のような女性に多大な影響を及ぼすことを知っているのです。
そして、彼らは経済的なことにとどまらず、霊的に渇いた魂を励ます器として用いられているのです。

ジャネットは宣教師としての滞在中、本誌を受け取ることが箴言25:25のようであったと述べています。

「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。(新改訳第三版)」

喜びと感謝をもってささげられたJBUパートナーの献金は、遠くの国々によい情報をもたらし、渇いた魂を励まし支えています。

もしあなたにも同じ思いが与えられたら、どうぞパートナーに加わってください。
just-betweenus.org/friends から登録することができます。
ささげ物は忠実に用いられ、世界中の街角にいる女性たちの心と魂へのよき投資となるはずです。

Elica Chang: Just Between Us の財務部門協力者。信仰に立った中小ビジネスWoven Promiseの共同経営者でもある。夫のニュートンとウィスコンシン州バーリントン在住。

Just Between Us 誌 2016 夏号より翻訳   Original title: "Hope in a Brown Envelop"  
Copyright 2016 Elica Chang. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 


(訳者付記:現在、日本での働きはすべてボランティアベースでなされています。
 アメリカのオフィスにも多くの献身的なボランティアがいますが、印刷費や送料、その他多くの必要があります。JBU誌がさらに主の栄光のために用いられますよう、続けてお祈りください。)

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(5)

5 ふりかえり、 再評価し、 選ぶ。 主とともに歩みながら、目標を設定し、毎日のよい習慣を実践してください。 途中で立ち止まり、熟考し、再評価し、選択することです。 Intentional living は、大陸横断紀行によく似ています。 走行中に車を停め、燃料を補給する必要があ...