← その(1) ← その(2)
(続き)
真実はこうです。
世界には、ムスリムの信仰を持っている、と自称するテロリストがいます。
私たちの生活を変えてしまおうとする過激派がいます。
キリストに真に従う者として、私たちはどう反応すべきでしょうか。
彼らを追い出してしまえばよいのでしょうか。
安全を追い求めることと正しいこととは、異なる場合があります。
危険を冒しても、自国よりまず神の国を優先するということが大切ではないでしょうか。
私はアメリカ人であることを誇りに思ってはいますが、それ以上にまず天国の市民としての忠誠を第一にします。
自分自身に死ぬならば、国境を越えて神様に栄光を帰すどんなことにも、私たちの命をささげることができるのです。
私は信仰と恐れのはざまで葛藤し悩んだ時、ステファンが北アフリカに戻る数日前(殺されるわずか1か月前)に集会で語ったメッセージを読み返します。
ジェイムズ・カルバートがフィジーの人食い人種への宣教師として出向いた時、船長は彼を止めようとして言った。
「そんな野蛮な人種の所に行ったら、あなたも一緒に行く人も命を失いますよ」
カルバートはそれに対して、
「ここに来る前に、私たちはすでに死んでいます」と答えた。
今晩、もう一度私たちは自分に問いたいと思います。
あなたは死んでいますか?自分自身に、自分の願いに、そして恐れに。
そしてキリストの内に生かされていますか?
人々があなたの人生を、また私の人生を見た時に、キリストだけを見ることができるように、というのが私の願いです。
自分のものでないかのように、私たちの人生を生きようではありませんか。
この世にあってはまさしく寄留者でありましょう。
この世においては異邦人でありましょう。
私たちの国籍は、天にあるのです。
ステファンはこの言葉のとおりに生き、そのとおりに死にました。
そしてこの言葉のうちに今も生きています。
ステファンを失ったことは忘れられないですし、それは私たちを完全に変えてしまいました。
でも、ステファンが現地から飛び立つ前に死んだことによって、神様に栄光が帰せられ、多くの魂が永遠に変えられたという、その約束を私たちはつかんでいます。
私たちは引き続き、ステファンが死ぬ直前に書いた問いに答え続けなければなりません。
「そのためになら死んでもよい、人生をささげてもよい、行動してもよいと思うものがありますか。」
目的のない人生を歩むのは、死ぬよりも悪いことです。
当記事は、Emily Foreman We Died Before We Came Here, 2017 からの抜粋で、許可を得て掲載されたものです。
Just Between Us 誌 2017 夏号より翻訳
Copyright 2017 Emily Foreman. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
Original title: We Died Before We Came Here
0 件のコメント:
コメントを投稿